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やったぜ!ウテナ黒薔薇編だ!『さらざんまい』#2「つながりたいけど、偽りたい」

投稿日:2019年4月23日 更新日:

第二皿:つながりたいけど、奪いたい

「さらざんまい」にはおそろしい副作用があった。それでも一稀は、今日もラッキー自撮りアイテムを探して街をさまよう。ひょんなことから悠と鉢合わせ、二人は行動を共にすることに。一方、燕太は悠の重大な秘密を知ってしまい―?

やりました。皆様。さらざんまいは「少女革命ウテナ」第二クール「黒薔薇編」です。

「少女革命ウテナ」は私がしばしば公言している生涯ベストアニメで、その中でも特に第二クールに当たる通称「黒薔薇編」は最も好きなエピソード群にあたります。

少女革命ウテナの大まかなストーリーは、宝塚歌劇を思わせる意匠の幼小中高一貫校「鳳学園」の中で、「デュエリスト」と呼ばれる一部エリート学生たちが自らの大志、または隠れた願望を象徴する「世界を革命する」という概念を追い求め互いに決闘するというもので、さらざんまいにおける欲望フィールドにおける闘いと符合する部分が多いかと思います。

凡人たちの秘かなる欲望とあがきの物語「黒薔薇編」

「少女革命ウテナ」の中でも黒薔薇編が特異な立ち位置にあるのは、基本構造がエリートたちの懊悩の話であるウテナにおいて、黒薔薇編がその周辺にいる凡人たちに焦点が当たっている点にあります。

黒薔薇編でフォーカスの当たるキャラクターたちは、主人公ウテナや生徒会メンバーの身内・友人たちで本人たちは決して秀でた能力を持っているわけではありません。選ばれしものたちの脇で自らの自意識をくすぐられながらも一方で劣等感や嫉妬、憎悪というネガティブで表にしにくい感情を募らせていく様には、凡人である私たちの多くにとっては感情移入せざるを得ません。

そしてさらざんまいもまた、表に出来ない欲望が暴走する話であり、欲望の概念がネット通販の梱包箱に画一化して象徴されてしまうような私たち凡庸な大衆の話であると受け取れます。

その凡人たちの欲望を利用(搾取)しようとする(どう見ても同性愛関係にある)男二人が黒幕として出てくるのも二者が符合する点ですね。

ただ、さらざんまいは黒薔薇編の焼き直しではなく、その先を描こうとしていると考えています。

明確な目的意識から、あいまいな「つながりたい」へ

ウテナにおいては主な登場人物たちは明確な目的意識を持った上昇志向の強い人物たちであり、その弱さや悩みはどこか世俗を越えて理想化されたもの(さらにいうなら少女漫画的理想化されたキャラクターのそれ)として描かれていていました。

また、黒薔薇編の裏の主役・凡人たちの暗い欲望は、凡人的弱さを持たない超越者ウテナによって理解を示されないまま一方的に蹴散らされて行きます。(それがいいとか悪いとかでなくて、黒薔薇編はその無常さがいい)

黒薔薇編で凡人の内面が描かれたとしても、それはあくまで本筋であるエリートたちの影であり、話としては脇道。少女革命ウテナはあくまで選ばれしものたちの物語であったと思うのですね。

一方で、さらざんまいに登場する欲望を抱えた者たちはあくまで大衆、ネット通販で買えるような既製品で自らの満ち足りない気持ちを満足させ、明確な誰かなどではない、誰でもいいから繋がりたい、自分を分かってほしいという受け身な存在として描かれていると感じます。

この欲望の主体の変遷こそウテナ黒薔薇編からさらざんまいへの前身の軌跡、より正解が不明瞭になった世界へのアンサーとしてのテーマ性の進化ではないでしょうか。

幾原監督の作家性?「他者」の描き方に見るテーマの違い

さらざんまいがウテナに比べてより曖昧模糊とした世界を描こうとしているのは、モブの描き方にも表れています。

ウテナにおいてはモブは個性は弱いながらも人の形をとっていましたが、さらざんまいにおいてはモブの表現はピクトグラムの形をとっています。

幾原監督の他の作品で言うと「ユリ熊嵐」が前者(ユリ熊嵐はさらざんまいと並行して視聴中)、「輪るピングドラム」が後者にあたります。

それぞれ学校という閉鎖空間が舞台になっている「少女革命ウテナ」「ユリ熊嵐」と、学校外の社会全体が舞台となっている「さらざんまい」「輪るピングドラム」での対になっていてそれぞれが作品テーマと密接に結びついています。

私はこの「他者の描き方」にこそ幾原監督の作家性があると感じています。

「少女革命ウテナ」が描いたジェンダーロールよる抑圧や「ユリ熊嵐」が描いた、セクシャルマイノリティーへの疎外(ユリ熊嵐はまだ視聴途中なのでどう着地するかは分からないですが、今のところそういう話としか思えない…)をより深刻に描くにあたって、閉鎖空間の中での他者からの圧力は重要な要素であり、モブは顔の見えてしまう距離にいる「人」として描写されることが必要です。

一方で愛されなかった人間たちによる愛を分かち合うことでの生存戦略を描いた「輪るピングドラム」においては、他者はより人格を持たない空虚な存在として描かれる必要があり、テーマ的必然性としてモブはピクトグラムとして描かれました。

おそらく学校がメインの舞台とはならなさそうなさらざんまいにおいては、ピングドラム同様、他者は空虚な存在である必然性のある物語を展開するはず。茫漠として空虚な答えなき世界に「欲望」ひとつを道しるべにして答えを求める話になるはずなんです。

私好みのテーマすぎてビンビン来てますね。

3話が楽しみすぎて仕方ありません。

真面目なテーマの外側でこういうアホなことするのほんと大好き。

-アニメ観たよ

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